6月5日にうちの教室は8周年を迎えました。
これを機に、少しじっくりとこの8年を振り返ってみました。
まず、なぜ教室を開いたのか?
そして、うちの教室が大切にしていることは何なのか?
どのような生徒に来て欲しいと思っているか?
どうなって欲しいと思っているか?などなど。
まずはとにかく自分が勉強が嫌いで、成績が良くなくて、塾の先生に助けてもらったことで、自分と同じように勉強に苦しんでいる子供たちを助けてあげたいと。
大切にしていることは、どんなに成績が悪い子でも、実は出来るようになりたいと思っているのではないかと。その気持ちを大切にしてあげたいと。
そして、そういう「何とかして欲しい」と思っている子に来て欲しいと。
出来なくて良い。
成績悪くて良い。
でも出来るようになりたいと少しでも思っているなら、やってみようよと。
全然、勉強しない子が少しでもするようになったら、すごいことじゃないかなぁと。
勉強って書いてるけど、本当は使いたくない言葉。
「勉強」ではなくて「学習」が良い。
「勉強」の本来の意味は「したくないことを強いてすること」なので、そうではなくて、自分の意思で「やろう」と思えたことをして欲しいと。
今回ホームページに
「『勉強嫌い』は『勉強嫌いだけが通う塾』に行け!」と書きましたが、「勉強嫌いなのは自分だけじゃないんだ」「実はこんなにいるんだ」ということを知ってもらえたら良いなと。
嫌いなら嫌いなりに出来ることをすれば良い。出来る子と同じようにしなくたって良いじゃんと。自分のしたいところまで、自分の出来る限り、をすれば良いじゃんと。
なので「行け!」ですが「来い!」でもあります。(笑)
「勉強の好きな子(そういう子が本当にいるのかどうか疑問だが…)」といると、どうしても比較してしまうし、劣等感を持ってしまう。
「こんなこと聞いたら馬鹿にされるかも」と思ってしまい、質問しづらい。
そういうことを無しにして、強制的にではなく自分の意思で、自分のペースでやっていく。
人間は天邪鬼。
「やれ」と言われると「やらない」。
「やるな」と言われると「やる」。
どうしても親は子供に必要以上に期待してしまう。そして子供はプレッシャーに感じる。
親は「80点取って欲しい」。
本人「平均点ぐらいの60点で良い」。
この乖離をどうするか?
お互い歩み寄って、70点で落ち着かせるように、親と子の間に入ってあげられたら良いのかなと。
「やれやれ」言わない。
「それで良い?」と問い掛け続けるのが良いのかなと。
自分の意思を持たせてあげること。
それが一番大事なことかなと。